しとしと、と緩やかな音を立てながら降る雨にはゆっくりと空を見上げる。傘に阻まれて見えない暗い空に目を細めて、は空から目を離した。 の両手はどちらとも空いている。雨が降っている。けれども濡れない訳は、以外の人物が傘を握っているからだった。歩く度にぴちゃりと水たまりより小さい雨の溜まりが跳ねる。四天宝寺は基本、制服は自由である。なのでは運動部でもないくせに登校時にはスニーカーだった。雨が靴を打つたびに重くなるのが分かる。 すん、と息を吸うと、雨特有のにおいがした。昼間はあんなに土砂降りだったのにも関わらず、放課後の今はそう強くもない。もう上がりかけ、というように弱い雨がしとしと、ただ降っている。 「?」 ひらひら、と目の前で大きな手が揺れた。 「どうした?寒いか?」 眉を下げて、何とも情けない顔で訊いてくる隣の彼をは無言で見上げる。金色に染まった短い髪は、湿気のせいかいつもより跳ねが少ない。自分よりも十数センチ高い謙也の顔を間近で見上げるのは結構大変だった。 「別に?」 短くそれだけ返すと、す、と目を逸らした。 無言で謙也にすりよる。 「ふうん?なら、ええけど…」 釈然としない、といったような様子でこちらを見つめる謙也には耐えきれず、ぷっと吹き出した。 「な、なんやねんいきなり!」 「だから何もないって。はは、うん、謙也らしいいなぁ、って思て」 「?本当に何なんや。物思いに耽るにはまだ早いで」 年か? と何も悪びれずに訊いてくる謙也の鳩尾に肘と叩きこむ。隣で唸るような声が聞こえたけれど無視だ。まだ15になったばかりの少女をつかまえてなんていうことを。 「あ、相変わらず、ええ突っ込みや……」 「そんなんやから謙也はモテやんのじゃ、アホ」 「はぁ?何の話やねん」 「べっつにー」 「はやっとるんか、それ」 「べっつにー」 あはは、と楽しそうに笑みを深めたに謙也は訝しげに眉を顰めて、そしてへにゃりといつもの情けない笑顔に戻った。そして少し考えるような顔をして、唇を引き締める。大抵、こうするときは。 「ま、あ、別にがおるから、モテやんでも、ええ…けど、」 彼が一生懸命考えた、少し恥ずかしい台詞を言う時と決まっている。 案の定、言ってから少し恥ずかしかったのか、赤く染まる頬にはまた笑いをこらえられなかった。 謙也は感情が表に素直に出る。良いことでも、悪いことでも。少なくともはそれをマイナス面に思ったことはない。まぁ、人によってはそれが腹立たしいこともあるかもしれないけれど。 「口説いとる時くらいは、どもったらあかんで?」 「くど…っ!?」 まぁ、目を見て言ったんは合格点やな。 茶化すように笑うに謙也は複雑そうにしながらも何も言わなかった。 「……雨、もうちょいで止みそうやのになぁ」 「せやな」 未だに緩やかながらも降り続ける雨を見つめながら呟くと、小さな応答が返ってきた。 ふ、とは目を止めたものに気付いて、再び謙也と肩をくっつける。 「どないした?」 「何も?ちょっと寒いなぁ思て。謙也あったかいやん?」 くい、と傘を押し戻せば謙也は驚いて目を見開かせ、そしてくしゃりと微笑む。 「そら嬉しいわ」 今度は雨が当たらなくなった謙也の右肩に、は満足げに微笑んで、合わない肩に身体を寄せる。見返りを求めない優しさは好きだけど、彼が濡れることは好きではないのだ。 左手で傘の柄を持つ謙也の手が少し下がった。 「謙也?」 「ん?」 どうしたの、と聞く前に傘が頭からどいた。瞬間、降り注ぐ雨の冷たさに目を瞑る。が、予想したような水滴は降ってこなかった。少し湿気のある、爽やかな風が髪を撫でる。 「雨…止んどる」 手を肩らへんまであげて掌を返す。そういえば、何故雨が降っているのか確かめる時はこういうことをしてしまうのだろう。隣では謙也も同じように掌を返して雨がもう降っていないか確かめていた。 パンッと一度だけ傘を開いて水滴を落としてから器用にくるくると傘をまいていく謙也を後ろから眺めた。 「謙也、手」 「は?手?」 「せや。早く」 ちょいちょい、と差しだした右手で催促すると戸惑いながらも右手がその上へ乗せられて「ちゃう」、ぺっと払った。 「はっ?」 「ひ・だ・り・や!アホ!」 「左?こっちか?」 ん、と今度は左手を差し出した謙也には満足げに胸を張ると、手を縦に起こして、手くらべをするように合わせた。こちら側からでも分かる、謙也の指はの指を第一関節ほど越している。テニスをしているとはいえ、利き手ではない左手はそんなに固くなく、右手を握ったことがあるので少々異和感を感じる。ぐい、と謙也の側に押しだす。 不意に、きゅっと手を握られた。 「ははっの手ちっちゃー」 「男のと比べられても困るわ。うちが謙也くらいあってもおかしいやろ」 「それもそやな。女の子はこんくらいが一番やな」 目を細めて、愛おしい、と目が告げている。甘ったるい視線に耐えきれずには思わず頭を俯かせた。先ほどまで感じなかった風が急に涼しく感じる。 せや、時々、こんな目すんのや、このアホは。 普段「好き」なんて滅多に言わないくせに、こんな目だけはするのだから、質悪い。 そうして謙也がくれた「好き」は私にはそうして返すことが出来ない。だから。 「好きだよ」 謙也くれた「好き」の分だけ、想いをいっぱい詰めて言葉にして返す。 「…お前、ときどきめっちゃ素直やんなぁ」 「あかん?」 「いや、──嬉しい」 へへ、とまるで子供が欲しいものをもらえたかのような無邪気な笑顔で笑う。 それでもまだ甘ったるい、瞳の奥で熱い炎を持った、鋭い輝きは消えない。 「よしっ帰ろか」 ぎゅっと手を握ったまま謙也は傘を右手に持ち、を引き寄せた。何の力もこめていなかったの脚は簡単に地から離れ、謙也の元へ駆け寄る。す、と頬を撫でる風はもう冷たくはない。 「なぁ、ちょお寄り道して帰らん?」 「え…ええけど、何か買いたいものあるん?」 雨が降っているから、と言って今日は何も寄らないことに決めたのに。 ぱちぱちとは目を瞬かせて謙也を見上げる。 ──また、だ。 「相合傘もええけど…俺は手ぇ繋ぐ方が好きやな」 照れたような、はにかんだ笑顔には思わず呆気と表情が抜け落ちた。 放心しているなんか気にせず、謙也は繋がった手を振って、もう一度強く握った。 「…うん、私も、好き」
今日は雨が降ったので。 |