コツコツコツ、と主不在の部屋に音が響く。は綺麗に整えられた爪でひたすら机をたたいていた。時計を見ればもう彼の言っていた時刻などとうに過ぎている。 「…アイツ、はよ抜けてくるんちゃったんか…!」 は夜中のために小さくぼやく。もともと、ここの鍵を渡して今日はサークルの飲み会に少し顔を出してから来るから先に上がってて、と言ったのは彼だ。少し、少し?約束というか、待てる限度を数時間前に過ごし、今やテレビをつけても深夜番組しかやっていない。先ほどまで気分を紛らわすためにつけていたのだが、今は切ってある。 響くのは机をたたく音、そして刻々と時を刻む時計の針の音だけだ。 もう帰ってやろうかとバックを掴み鍵をチャリンと鳴らす。鍵をかけていってあげる、なんて優しいんだろう。 乱暴に勝手に使っていた紅茶のカップを流しに置き、玄関へと向かう。扉を開けようとノブに手をかけた途端、バックの中で携帯が音を鳴らし主張を始めた。一体こんな時間になんだ、と少々不機嫌になりながらもバックに手を伸ばす。手に当たった冷たい感覚を手繰り寄せ、ボタンを押す。 「はい?」 「あ、?」 「…白石くん?」 てっきり彼からの謝罪の電話かと思っていたので、声を低くして出てしまったことを少々後悔する。 「謙也、家帰ってきとる?」 「え?ううん、まだ」 「…アイツ間違えてるんちゃうやろな…」 「なにかあったん?」 「あ、ああーごめんなあ。ちょい見とったんやけど、謙也のやつ先輩に度の強いアルコール飲まされとってな、落ちとったねん」 待てせてるから早よ帰らなあかんねん。 謙也はそう言って白石に断りをいれていたらしいのだが、恐らくはグラスに勝手に注がれていたであろうアルコールを飲んでしまったのだろう、と。 白石の言葉には息を重く長く吐いた。 謙也はああいう身なりをしているわりには酒に弱い。というか度の高いアルコールが全く駄目なのだ。低いカクテルとかチューハイなら大丈夫、というなんとも女々しい趣向も持っている。謙也はあまり二人のときにお酒を飲まないから(記憶が飛ぶらしい)そうベロンベロンな状態になった彼を知らない。 「一応マンションの前までは送っといたから、そのうち部屋につくと思う。すまんけどよろしく頼むわ」 「ん、分かった。ごめんね、わざわざ」 「ええよ。俺、酒飲んでなかったからもともと送迎係やったし」 そうだった、とはくすくす笑う。健康に気を使う彼は酒・煙草類には手を出さない。知り合った頃から貫かれているその精神は正直感服ものだ。 ありがと、と電話を切っては溜息をついた。これで結局帰れなくなってしまったじゃないか。帰ろうとしていたバックを肩からおろし玄関前で嘆息する。ふと、がちゃりとノブが回った。 「あ、謙也、もーおそい…」 「あーやーっ」 「は?え?」 ぎゅううううっと謙也の顔をろくに確認する前に思いっきり抱きしめられる。手加減なしの強い力が少々苦しい。目の前で揺れる金色の髪をばしばしと叩く。も、動きそうになかった。漂ってくるお酒の匂いでも酔ってしまいそうだ。酒の強くないにとっては厳しい。 抱きしめられているきつい体制から精一杯手を伸ばし、開きっ放しだった扉を閉める。かちゃり、と鍵まで回せばようやく息をつけた。 「うあ…酒くさい……ちょ、どいて!」 「ごめんなぁーはよ帰る予定やったんやけどなぁなんやねむってしもたねんー」 「え?なに、酔ってんの、ちょっと、けんや…」 とろん、と潤んだ目が目いっぱい近づいて、へろーんとまさに間抜けな効果音とともに崩れた笑み。間近の熱い息に、何やら不穏なものを感じて目いっぱい肩を押して抵抗してみる。鍛え上げられている筋肉はびくりとも動かず、へろんとした笑顔だけが返ってきた。ああ、なんで私はこないな奴に振り回されてんの…! 「ー」 間延びした声が耳元で囁かれる。時折香る酒の匂いに目が回りそうだ。ぐるぐる。 「もーお水用意したげるから座りぃアホ」 「んんー」 ずるずると重い体を引きずってなんとか柔らかいソファにたどりつく。一人暮らしのくせに質のいいソファを持ってるのは何だか腹立つけれど、も遠慮なく使わせてもらっているので文句は言えない。 とりあえず謙也をひきはがし(力も弱くなっていた)、台所からコップ一杯の水を持ってくる。コップ越しでも冷えたのが伝わってくるこの水で、どうにか酔いを覚ましてほしい。 あーあ、せっかく久しぶりに会えたのになあ。 「ほら、お水」 「ん」 「……こら、ちょっこらこら!寝るな!」 ソファに転がしたはいいものの、ちょうど男が寝てもよいほどの大きさのあるソファで丸くなって、目が閉じかけている。その様子には沸々と起きあがるいら立ちを隠せなくなってきた。 「…自分が大学で忙しいゆーたから逢えへんくって、今日やってめっちゃ頑張ってバイト終わらせてきたんやで!このアホ謙也!起きろ、ばか!」 ぐい、と水を口に含み、眠たそうに船をこいでいる謙也の頬を掴む。無理やり顔を上へ向かせてその口から容赦なく冷たい水を流し込んでやった。しっかりと飲み干すまで顔を上げさせ続け、ごくり、と喉が鳴る。 「…ぷはっ」 少し長めだったので息が上がってしまった。濡れている唇を手の甲で拭う。 「さて…帰ろかな」 げほげほと後ろでむせている音を聞きながら、はやや上機嫌で立ちあがった。 とどめにもう一回やってやろうかとも思ったがさすがに可哀想なので(私良い子!)止めてあげることにする。 しかし悪いのは彼なので、後日改めてたっぷりと謝罪はもらうことにしよう。 「鍵…かけなくていいよね。男だし。…よし、それじゃ…」 立ち去ろうと方向を変えた途端、腕をがしりと強い力で掴まれる。何事かと声を出す前に、引っ張られて前方に倒れこんだ。 「ちょ、っと…んんっ」 ソファに沈む謙也に乗る体制となり、抵抗する前に体全体と、そして逃げないように後頭部にも手が回っていた。いつもの優しい触れるだけのものではなく、まるで情事のときのように荒々しく熱いキス。深く絡まる息にも体の力がどんどん抜けていくのを感じた。 「ん、……も、なんなん…」 「、」 いつのまにか体制の位置も変わり、今度はがソファに沈んでいた。顔の両側にある腕から視線を滑らせると、熱っぽい、潤んだ瞳とかちあう。思わず体の芯が熱くなるのを感じた。 「、愛しとる」 「…っ」 普段は言わない言葉、を甘く囁かれては、反応に困る。 そっと、謙也の大きな手が左手をとった。そしてゆっくりと、薬指に口づけられる。 「…けっ謙也、いいいつから意識あったん!?」 「おま、ムード台無しやアホ。あーあ誰かさんがつっめたい水なんて流しこんどいて自分だけさっさと帰ろうとするしなあ」 「…それは謙也が悪いんやろ。…約束、しとったのに。久々やったのに」 「それはごめんって。今度埋め合わせするから許してや。それにそのワンピース似合っとんで」 「…っアホ!」 普段そういうことに気づかないくせに、今日みたいな時だけ気づいて。 は真っすぐな謙也の視線から逃げるように顔を横へと向け、机の上でゆらゆらと揺れるコップの水面を眺めた。 今、彼の下敷きになっているこのワンピースは今日のために新品をおろして、少しだけ髪やお化粧も気合をいれて。絶対に気づかないであろう小さなことを頑張って、そんな自分は青春中か、と突っ込みたくなるけれど、少しだけ誇らしい気もしていた。誰かのために頑張れるって、すごいことでしょ。 「明日はの好きなとこ行こ、この指にぴったりの指輪、買ったるわ」 「……可愛いのじゃないとやだ」 「………せめて俺にも似合うやつにしてくれ」 「善処する」 絶対に可愛いのにしてやる。可愛くて、それつけていったら皆にからかわれるくらい綺麗なやつ。 する、と顔にかかる横髪がどかされて頬を撫でられる。ゆっくりと背けていた顔を謙也に戻す。 「夜も、たっぷり愛したるし、な?」 熱っぽい視線に見つめられて、そのまま唇を合わせた。
ただ酔っ払いの謙也が書きたかっただけ。…そしたら予想外に出番が少なかったので目覚めてもらいました…。計画性のなさがバレる…。謙也はお酒弱いというのに一票。白石はお酒自体飲まなくて、財前は異様に弱くて千歳が酒豪。だったらいいな。 title by Noiraud 「…酒くさい」 「せやからに逢う前に酒飲むの嫌やってん…」 |